親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
日々をいきいきと過ごしている人=さまざまな「好き」を探究している人にお話をうかがう連載企画「となりの偏愛LIFE」。第15回のゲストは、空想地図作家で「地理人」を名乗っている今和泉隆行さんです。
空想地図とは、実在しない都市の地図のこと。今和泉さんは7歳から、架空の都市「中村市(なごむるし)」の地図を描き続けてきました。さらにその空想都市を描く技術を、さまざまな仕事に結びつけています。
空想地図は、どのように制作を進めていくのでしょうか。そして、その魅力とは? 地図や地理を愛してやまない今和泉さんに、たっぷりと語っていただきました。
地図制作から講師活動まで 意外に幅広い「空想地図作家」の仕事
—今和泉さんは空想地図作家として、どのような活動をされているのでしょうか?
今和泉
趣味としては、小学生の頃からのライフワークとして、中村市(なごむるし)や西京市など「架空の都市」の地図を作成してきました。中村市は実際に地図として販売もしています。
地理人・今和泉隆行さん。背景は中村市の地図
今和泉
仕事としては、企業から依頼を受けて架空の地図を制作しています。直近では、とある企業からの依頼で、AR(現実世界にデジタルの仮想世界を重ね、拡張する技術のこと)を体験できる架空の舞台の地図を制作しました。
他にも、ゲーム制作会社から「ゲームの舞台を制作してほしい」という依頼も受けましたね。これは私含め、6人の合作で架空の都市を描きました。お城やダムなど、ゲームの主人公が冒険する架空の都会や田舎の風景を、かなり広範囲に作りましたよ。
あとは、ワークショップや高校の探究学習の授業で、空想地図の作り方を教えています。
高校でのワークショップ授業の様子(写真提供:今和泉隆行さん)
―ワークショップや授業では、どのように空想地図をつくるのでしょうか?
いきなり「空想地図を描いてみましょう」といっても難しいですよね。なので、切り貼りするだけで架空の地図ができるキットを作りました。都会から田舎までの典型的な地図模様があるので、それをチョキチョキ切って台紙に貼るだけで自分だけの空想地図が簡単にできあがります。
まさか高校で教える立場になるとは思いもしなかったんですが、想像以上に生徒からの反応が良くて。
空想地図キット。工作をしながら地図作りを楽しめる
―人気の授業なんですね。
一般向けのワークショップでは、エンタメやカルチャー、生涯学習の流れで行うことが多いですね。たまに企業から、未知の分野へのチャレンジ的な意味合いで、社内勉強会の講師をやってほしいという依頼もあります。
イラストを描くような感覚で始めた「空想地図」づくり
―7歳の頃から空想地図を作り始めたとのことですが、何かきっかけはあったのでしょうか?
いつの間にか描いていたんですよね。ただ背景を言えば、5歳のときに横浜市から東京都日野市に引っ越したので、地図を見る機会が多かった影響はあると思います。当時は1990年で、まだネットやGoogleマップもありません。まったく土地勘のないところに引っ越したので、どこに何があるのか調べるために地図は必須で、手に取りやすいところにあったのがきっかけといえます。
日野市への引っ越し当時、よく見ていたという「東京都多摩詳細図」(昭文社)
日常生活で地図を見るうちに、自然な流れで空想地図を描き始めました。子どもがイラストや絵を描くような感覚ですね。
—漫画やイラストを描く子どもは多いイメージですが、今和泉さんは地図だったのですね。
実は漫画は苦手だったんですよ。描かれる世界が現実から遠くて、あまり身近に感じられないものが多かったので。
あと、最初から順に読まないといけないものが苦痛だった、というのもあります。逆にハードルが低かったのが、図鑑や地図、時刻表など、途中のページから読んでもいいものでした。中でも地図は、未知の場所に対する好奇心のきっかけとして興味・関心を持ったのだと思います。
―7歳から描き続けている架空の都市「中村市」は、いまでもブラッシュアップを続けているそうですね。どこから描き始めたのでしょうか?
よく聞かれるのですが、自分でも分からないんです。おそらく鉄道や中心市街地からだと思いますが、無意識に描いているので。
修正については、「現実性を考えれば無理があるな」というポイントが出てきたときに描き換えています。例えば、駅前にある「中村SOLスクエア」は工場跡地の再開発でできた建物(という設定)なのですが、位置に違和感があったので、駅東側から西側に移動させました。
中村市駅前。もともと駅東側にあった「中村SOLスクエア」は、駅西側へ(画像左上)。
過去に販売されていた中村市の地図と見比べると、変化に気づくことができるとか
あとはニュータウンですね。ここの道路網はすべてニュータウンらしい規則的な曲線を描いていたのですが、開発する前からある谷がこんなに規則的で真っすぐであるはずがないので、もうちょっとグネグネだった谷の跡や家が残っていないと不自然だなと。結果、全部変わってしまい、面倒くさいなと思いながら修正しています(笑)。
ニュータウン周辺図。想定される「もともとの地形」に合わせて道路を修正し、これから激変する予定だ
―空想でありながらも、現実的かどうかをチェックしながら制作しているんですね。「現実的かどうか」は、実際の地理の知識も必要になると思いますが、どうやって身につけたんですか?
大学生の頃に、全国47都道府県300都市を回る「地方都市巡り」をしました。人口の多い都市圏へ行き、商業施設や商店街、住宅地をざっと回って土地勘を身につける感じです。
例えば「ここに街道ができると、このぐらいの商店街ができがちだな」「このターミナル駅は、20~30キロ先からは人が来るけど、50~60キロ先からは来ないな」とか。いまは、地図を見ればどういう街なのかをざっくり把握できるようになりました。
―地図を読むだけでなく、実際にさまざまな都市を回ったんですね……! ちなみに、オフィスには本物の地図がずらっと並んでいますが、今和泉さんの「推し」地図はありますか?
「シティマップル道路地図(昭文社)」(昭文社)です。これは1998年に発売された地図なのですが、ビルが立体的に描かれていたり、トンネルに入るところがグラデーションになっていたり、かなりデザインが凝っているんですよ。ここ、見てください! すごくないですか?
東京都庁が立体的に表現されている。地図を眺めながら「いや〜美しいなあ……」と今和泉さん
趣味でつくる地図より、仕事でつくる地図のほうが楽しい
―空想地図が仕事になったきっかけは?
会社を辞めて1年くらい、まだアルバイト中心で自営業の仕事もほとんどない頃に、空想地図の依頼がNHK出版の編集プロダクションから来ました。「知っトク地図帳」という番組があり、その書籍に掲載する地図の制作です。その後、2012〜14年にイベントやテレビ出演で「空想地図作家」として紹介されたことで、徐々に仕事が増えていきました。テレビでいうと「タモリ倶楽部」「アウト×デラックス」など。ラジオ出演は現在でも年に3回くらいあります。
―メディアに出ることで仕事の依頼が増えた、と。
結果的にはそうかもしれませんが、当時はあまり感触がなくて。もし私が飲食店の店長であればお客さんが増えるし、税理士であれば依頼が増えるでしょう。でも空想地図作家がメディアに出たところで、「この人に何を頼むんだ?」って話ですよね。
なので、メディア出演は皆さんが思っているほど仕事につながるわけではありません。ただ、「〇〇にメディア出演」という実績ができたことで、企業や組織の中で企画が通りやすくなっている効果はあると思います。
2017年、宮崎県の都城市立美術館「南九州の現代作家たち」という展覧会に空想地図を出展したのですが、そのときのきっかけがテレビ番組出演でした。当時の職員の方がたまたまテレビを見て私を知り、学芸員さんに紹介したそうです。
―空想地図が現代アートとして認識されたわけですね。
あまり想像していなかったのですが、その後は現代アート界隈で空想地図を展示する機会が増えました。
東京都現代美術館「ひろがる地図展」の様子(写真提供:今和泉隆行さん)
—近年では、テレビドラマ「VIVANT」(TBS)に登場する架空都市の地図も手掛けたそうですね。
VIVANTでは、「モンゴルと中国とロシアとカザフスタンの間あたりに、架空の国・バルカ共和国がある」「首都はここで、砂漠を越えてモンゴルの国境に移動する」といった設定やラフ絵はあったので、それを踏まえて描きました。
依頼によっては「こういう歴史がある」といった作り込みが求められるものもあって、それはそれで楽しいですね。
—趣味でつくる空想地図と、仕事としてつくる空想地図の違いはあるのでしょうか。
趣味であれば、フィールドも設定も完全に自由です。一方で仕事は、依頼主の描きたい世界観や期限など制約があります。
前者のほうが自由だから楽しいのでは?と思われるかもしれませんが、ある意味、苦しいんですね。「現実味を追求する」という制約を自分に課してしまっているし、終わりもないし、やらなくていいので腰が重くなってしまう。そこに新たな空想地図の依頼が来ると、新鮮で楽しめます。人口や面積、描きたい世界観など「この設定は難しいぞ」と思いながらも、パズルを解くような楽しさがありますね。
自分では思いつかないような依頼が来てほしい
―「好きなことを仕事にしたい」と考えている人は多いと思います。今和泉さんは趣味であった空想地図をうまく仕事に展開しているようですが、何か意識していたことはありますか?
そもそも私は、好きなことを仕事にしたいとは思っていなかったんです。営業活動は苦手だし、空想地図を仕事にするのは現実味のない夢物語だろう、と考えていました。
例えば地理が好きな人の場合、測量士などの資格を取り、専門性を身につけるのが順当な道だと思います。でも私は大学入試等、試験の機会は良い成績を得ないので、勉強して資格をとる道は向いていないと判断しました。他にも、大学選びや就職など、かなり失敗を重ねているんです。
―そんな苦労があったんですね。
20代前半までは、「これからどうすればいいのか?」「自分の気持ちすら分からない」という状態だったので、自分で自分にヒアリングして言語化する作業をしました。とにかく、自分のなかで強みになりそうな要素を探していたんです。それがある程度できて、自分を俯瞰で見られるようになってからは精神もプラスになりましたね。
―強みとなる要素とは?
人見知りがまったくなく、いろんな領域の人と交流するのが好きなことです。この性格もあって、製造業や教育関連、現代アートなど意外な業界から依頼がくるようになったのかなと思います。
あとは、地図や地理に興味のない人、基礎知識のない人に対してどう届けるかという視点を持っていることも強みかもしれません。それを生かして、方向音痴の人に向けた地図本や小学生向けの教育書などを執筆しました。
基本的に、「すでにある仕事より、まだ誰もやっていないことのほうが面白い」「競争相手がいないので楽だ」と感じているところはありますね。
左:「どんなに方向オンチでも地図が読めるようになる本」(今和泉隆行 著/大和書房)
右:「子供の科学サイエンスブックスNEXT 世界が広がる!地図を読もう」(今和泉隆行 著/誠文堂新光社)
―なるほど。では今後、チャレンジしたいことはありますか?
趣味のほうでは、中村市のある国の全国地図を他の作者と一緒に作り始めています。他の人と作る楽しさが見えてきたというか。どうやったらうまくいくかを数人で調整すれば、数倍の力になるわけですからね。
仕事に関しては、私が考えるより外から来る依頼の方が面白いので、あまり「○○がしたい」と明確に考えてはいません。むしろ、まったく想定していないような依頼が来てほしい、というのが一番の望みですね。
今和泉隆行(いまいずみ たかゆき)
空想地図作家、地理人
株式会社地理人研究所 代表。空想地図作家。武蔵野大学高等学校非常勤講師。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作に携わる他、ワークショップ等も開催。著書に『「地図感覚」から都市を読み解く』(晶文社)、『考えると楽しい地図』(くもん出版)など。
「地理人」HP:https://www.chirijin.com/
「空想都市へ行こう!」HP:https://imgmap.chirijin.com/
取材・執筆:村中貴士 撮影:小野奈那子 編集:モリヤワオン(ノオト)
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